2017年11月30日

助けてもらえないことが普通じゃないなんて知らなかった


この世は何があっても誰も助けてくれないのが当然で当たり前で自然だと思っていた。

でもどうやらそうではないらしい。

上の人が新人に教えずにまずやらせてみて、それで困っていても助けないのはおかしいらしい。

知らなかった。今日まで。

「それは怒っていいやつだよ」
「それは酷いことなんだよ」
「それは意地悪なんだよ」
って複数の人に言われて、初めて知ったの。駄目なことなんだって。

私の母親はそういう人間だよ。

私の母親は「人間は生まれたときから誰に教えられずとも常識を兼ね備えている」と思っている人間だから、幼い私が初めてやることを母に丸投げされて失敗したり間違ったりすると「お前は世間知らずだ」「常識のない子だ」とか教えてないくせに言うし、素直に「分からない」とか「できない」って言っても教えも助けもせずに放置して無理やり私にやらせて、結果失敗すると手伝いも助けもしなかったくせに世間知らず、常識がない、なんでこんな子にとか言うような人間なんだよ。

だから私は初めてやることを、何も分からないし知らないことを、立場が上の人から丸投げされて助けてももらえずに失敗してから罵倒されるなんて当たり前のありふれたことだと思ってたんだと思う。

だから今回の愚痴合戦にも参加できなかったの。

そりゃあ私だって母にそういうことをされたら腹立ててたけど、やっぱり初めてそういう目に遭ったときの怒りと何千回何億回とそういう目に遭った後のそれは全く重さが違うじゃない?

私は後者だったから、なんとも思わず流したんだろうなって。

正直、あれは意地悪なんだって言われてもまだ全然そう思えないんだよ。私にとってあれが普通だからさ。私より偉くて支配権があって権力がある人はああいうものだと思ってるからさ。

だからこそそうじゃない世間では当たり前とされるような人に出会うと善良で優しくて素敵な良い人だなあって思うのかもしれないし、そういう意味では少し幸せかもしれないけど。

でも本当に、あまりにも皆からその人が批判されすぎてて、嫌われすぎてて、でもそれが私には分からなくて、私も酷いことされてたってのも実感が沸かなくて…

あれくらいであんなに何時間も声を荒げて皆が愚痴を言うってことは、私は相当みんなとズレてしまっている。

それが良い悪いじゃなくって、他の人と暗黙に共有できないことがあるということが怖い。

相手が私にも同じものを求めて来ることが怖い。
同じものを期待されるのが怖い。
同じものを持っていると思い込まれるのが怖い。

他にも「自分が伝えてないのにムッとしてて腹立つ」とか「自慢話がしたいだけ」とか散々言ってらしたけど、その話を今こうやって咀嚼してみると、完全に私の毒母の行動と一致してるの。

私あの人と生まれてから18年間ずっと一緒にいたんだよ。そりゃあ慣れるし麻痺するよ。馴れないと、麻痺しないと生きていけないよ。

まあ実際生きていけてはなかったけどさ、健康的に。

でもああいう人と健常な人が1週間一緒にいただけであれだけストレスが溜まって…って考えると、私の精神がおかしくなったのはしょうがないね。


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posted by ヤナ at 20:30| Comment(0) | 毒親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月07日

毒親と思春期とブラジャー


毒親にまともに思春期の色々を対応してもらえなかったって話。
いやまあ確かに私の場合には変化球的な思春期だったかもしれないけどさ。FTMだと思ってた時期だし。カミングアウトはしてなかったけど「男になりたい」とは言ってた。小さな頃からね。

さて、そんな私の思春期で超難関イベントだったのが、ブラジャー。

性嫌悪云々もあるけど、毒母が思春期に大人が何をしてあげなきゃいけないのかが分かってない。客観視できない人だからね、あの人は。

まず、適齢期になっても全然ブラジャーを買ってくれない。まあ私もつけたくなかったんだけどさ。でも「買いに行こう」とすら言わなかったよね。

当時どんなものをつけてたかというと、乳首が浮き出ないためにパッドのようなものがついているキャミソールみたいなものを毎日着ていたよ。

今思うと、正直体操着なんかの白い服から乳首の色が透けてたと思うんだよね…辛い過去だな…黒歴史…

まあ高校2年生だか3年生だかでやっとスポーツブラになった。私から「ブラ買って」って言い出して。

それから大学1年だか2年だかで普通のワイヤーとか入ってるブラを装着するようになった。友人たちに散々ネタにされてたのでね。「ヤナはブラしてない」とか笑われてね。ブラはしてるの。スポーツブラなだけで。

ってかそもそも、そりゃあ最初の頃、スポブラつけたての頃は本物の(?)ブラジャーに抵抗があったけど途中からそうでもなくなってたのさ。

じゃあなぜ普通のブラジャーを使わなかったからって?

毒親が買ってくれなかったからだよ。

バイトしてない(精神的にもできない)高校生は親に経済的に完全に依存しているから毒親が買ってくれないものは手に入らないんだよ。毒親は私に選択肢すら提示しなかったよ。最初から最後までね。スポブラの中でも乳首の形が分かるようなうっすい安っぽい布の白とベージュの間みたいな0装飾のものを有無を言わさず買い与えてくれたよ。

当時はそれがおかしいとか変とか普通じゃないなんて知らなかったからなんとも思ってなかったけど、今考えると、親は子どもに「常識を教える」ことも仕事なわけだから、せめて説明ぐらいするべきだったよ。

普通じゃないと知っててあえてその普通じゃないことをしていると親自身が知っていても子どもには教えなきゃわからないよ。そういう「知らない人」の視点に全く立てないのがうちの毒母なんですよね〜。昔っからそう。なんに対してもそう。

まあ、そんな感じです。
毒母の話。
思春期の話。
ブラジャーの話。

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posted by ヤナ at 21:49| Comment(0) | 毒親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

「あなたが普通に生まれてよかった」の呪い


正直この記事を毒親のカテゴリーに入れていいのか、はたまた精神的なことのカテゴリーに入れたほうがいいのか迷っているけど、とりあえず毒親の方に入れておきます。

うちの毒母は、本人が兄弟が多く楽しい幼少期だったからと私が一人っ子であることをひどく可哀想がるし、自分が一人しか産めなかったことを悲しく思っている人間である。

そしてその話になるたびに自己正当化をはかるため、こう言うのだ。

「あなたが普通に生まれてよかった」。

これは私が命の危険もなく無事生まれてきたことを意味するのではない。この言葉の意味は背景を知らないと分からない。

その背景とはこうだ。

毒母の兄弟は3人いる。一人は独身、一人(Aとする)は4人の子持ち、そしてもう一人(Bとする)は2人の子持ちだ。

Aの第一子はダウン症である。そして第三子はアスペルガー症候群の診断をもらった。(一応ネット検索をして何が差別的な単語で何がそうでないかをみていますが、間違っていましたらすみません。まだあまりこの範囲には詳しくないのです。)

Bの第一子は、いわゆるニートである。30代後半、一度も定職に就いたことがなく、親が死んだら私も死ぬと本人は言っているそうだ。幼い頃から"普通じゃなかった"と母の独身の兄弟が言っているのを聞いたことがある。

それを踏まえての、

「あなたが普通に生まれてよかった」

である。

非常に差別的であるが、うちの毒母はそういうことを言うのである。たとえ自分の甥や姪を否定するようなことでも、自分の子どもにそういうことを何回も言う奴だ。

それを言われて私がどう思ったかというと、

「私は普通でないと愛してもらえない」
「私が普通でいないと落胆される」
「私は普通でいないと嫌がられる」

「私は普通でないと親の期待に添えない」

私はセクシャルマイノリティだ。私は精神を病んだ。私はおそらく、おそらく、発達障害のグレーゾーンにいる。

私は普通じゃない。

私は普通じゃないけど普通でない私は存在してはいけない。

あれは私にそういう呪いをかけた言葉だった。

私は親にカミングアウトするつもりはないし、それが必要になる前にさっさと死んでほしいと思っている。

私は毒親のせいで、毒親からの精神的虐待や性的虐待のせいで心を病んだ。(勿論原因はそれだけではないけれど、もし私が親からしっかりと自尊心を持てるような健全な幼少期を送らせてもらえていたらあんなにも精神を病むことはなかったと思う。)

私は病院に行って診断をもらうのが怖い。

「普通でよかった」は呪いだ。その上その「普通」というのは「彼ら」にとっての普通であって、私の普通でも世界の普通でもなんなら世間の普通ですらない。

普通でない自分を知られるのが怖い。

この気持ちは私の人生に多くの影響を及ぼした。他人に自分の好きなことを言えない。秘密主義者と言えばありきたりだが、恐怖から他人に知られたくないというのはまた違うと思う。知られたくない。何が他人にとって「普通」なのか分からないから。何が他人にとって「異常」なのか分からないから。嫌われたくない。落胆されるかもしれない。気持ち悪がられるかもしれない。嫌われるかもしれない。

親から植え付けられたその概念が私を邪魔する。

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posted by ヤナ at 21:41| Comment(0) | 毒親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月03日

「日本一醜い親への手紙」出版に際して投稿者の私から伝えておきたいこと


こんにちは、こんにちは。ヤナです。

さっきこのブログのアクセス解析を見たら、今日の午前3時ごろに突然ある記事へのアクセスが非常に増えていました。その記事というのは、「うちの毒親が本になりました。」という、私の応募した投稿が「日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?」という毒親関連の本に採用されて出版されますという内容の記事です。

多分、その本の公式ホームページでその記事が紹介されたからかな?

この「日本一醜い親への手紙」は確か10月2日、つまり昨日出版だか搬入され、一般の店頭に並ぶのは明日4日~5日だと聞いています。

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しかし、今私の手元にはその本があります。
採用者には早めに送ってくださったのです。

まず何より、自分の投稿部分を読みました。なんせ、投稿の際の上限文字数は8000字。私は7800字ほど書きました。しかし、どう考えてもその全てを載せることは不可能ですし、編集が入ると編集者の今一生さんからは聞いていました。

だから、いったい私のあの長文がどのような編集のされ方をしたのかとても気になったのです。

読んでみた結果。

こんなことを言うのは心苦しいのですが、あまり私の意図していたような内容にはなっていませんでした。

私の拙い長文をなんとか短くしていただいたのですから、しょうがないなと思います。私が強い感情を抱いている部分と私の文を読んでくださった方が強い感情を抱く部分は違うでしょうし、しょうがありません。

ただ、この編集だと原因・要因・起因・過程・結果が全て含まれているわけではないので、私は自分のパートになんだかとんちんかんな、支離滅裂な印象を受けてしまったのです。編集によって元々意図していたものと違う結論になってしまっている部分もあります。もちろん、そう感じるのは私が元の文章を知っているからというのも大いにありますし、私がまさにその当事者だからというのも大いにあります。

そこで、皆さんにお願いです。
この「日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?」を購入した方は、2018年1月31日までウェブ上で全ての採用者の原文を読むことができるようになっています。

どうか一度、原文を読んでください。

投稿した際に投稿者の著作権はCreate Media側に渡されているため、私はここに原文を載せることはできません。ですから、本を手にいれた方は、どうかこの本のp260に載っている方法で原文を読んでみてください。

私も、私の原文に書いてある内容から少しずつ少しずつ語るに足る部分に関してこのブログで詳しく書き綴っていければいいなと思っています。
posted by ヤナ at 18:49| Comment(0) | 毒親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月25日

うちの毒親が本になりました。


うちの毒親が本になりました。

って言っても私が一冊本を書いたわけではなく、私が応募したうちの毒親の話が採用されて本に載って出版されるって話なんですがね。

その名も、

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日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?


です。

このブログとTwitterで私「ヤナ」って名乗ってますが、この本でもヤナって名前で投稿してます。多分。そう送ったよ。まだ中見てないからなー。

これ、10月上旬に販売開始だそうで。
ただ私は応募が採用された採用者さんなので早めに手元に一冊届いたわけです。

今度、編集された自分の文を読んで、補足やらなんやらをこのブログでできたらいいなあ。

今とりあえずこの本関係でここに書こうかなって思ってる話題が1つあるんですがいいですかね?

いやまあ自分のブログなんで書くんですが。

私がこの書籍への投稿記事を書いたのは、6月の中旬とかだったと思います。

そのころはひどく親の毒にやられていた時期だった……………

単純に周りの環境も良くなくって精神状態も良くなくって少し大変な時期だったのさ。

まあその環境の悪さっていうのは、実際に状況が良くなかったのと、私のACであるが故の認知の歪みとかなんやらによって余計悪く感じてたっていうのも両方あって。まあ普通に病んでたんですよねー、有り体に言うと。有り体というか消費できるように言うとっていうか。

ただその頃から今日に至るまで。この本が完成して手元に届くまで。その間に私は急激に解毒が進んでしまった。いや、悪いことじゃないんだけど。むしろ喜ばしい幸せなことなんだけれど。

毒親にされたこと、全てちゃんと覚えているし、そういう面では恨んでいるし、絶対に許さないと思っている。

でもそれを思い出して改めて怒ったり腹を立てたり泣いたりする段階を私は終えたようです。

なんか思ったより長くなっているのでどうやって解毒したかっていうのは他のときに書こうと思うけれど、その段階を乗り越えたよ。

色々と自分でも本とか読んで勉強したんだけれど、解毒のプロセスっていうのは、

毒に気づく

当時抑え込んでいた本来の感情を思い出す

その感情をしっかり表現する

毒親に影響されないように生きる
=解毒

って感じなのよね。

で、私は当時の感情を表現するってとこに3〜4年間かかった。

それだけ毒親の影響って強いのよね。まあそりゃそうよね、生まれてからこのかたずっと一緒に生きてきたんだから。初めて出会った世界は毒親の世界なんだから。毒親の世界が私にとって標準で基準で正常で常識だったんだから。


…ええと、何が言いたいかというと、この本に載っている私の文よりも今の私は解毒が進んでいます。生きるのがこの頃よりずっと楽です。アダルトチルドレンじゃない人はこんなに簡単に生きていられたんだね。すごいなあ、羨ましいなあ。でも今までの私の二十何年を無駄だとは思わないよ。

posted by ヤナ at 19:24| Comment(0) | 毒親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月14日

虐待されたことありますか?


私はあります。

虐待されているんだって気づいたのは、スーザン・フォワードの「毒になる親」(毒親の語源になった本ですよねー)を読んでいたときに薄々と感じていたのもそうだけど、留学中に出会った人と親との違いをたくさん見つけて調べてみたら親からのは虐待なんだと確信に変わった、という経緯だった。

そんなわけで、虐待されていました、というかされます、未だに。

何をされたか、されているか、を綴り、今一生さんが中心となって制作している「新編・日本一醜い親への手紙」に応募しました。9月に出版されるそうです。
(http://letters-to-parents.blogspot.mx/2017/04/blog-post.html?m=1)

名前はこのブログと同じ、ヤナで。

120通ほどの応募がありそこから100通に絞るそうなので、私の書いたものが採用されるかは分かりませんが、ヤナと名乗る人の手紙が採用されたなら、それは私です。

調べた限りでは、おそらく精神的虐待、性的虐待、ちょっとの身体的虐待を受けていたし受けているはず。

採用されなくても応募した文は応募先に帰属するそうなので、このブログで公開できそうにもありません。多少改変してダミー入れて削ってとかならできるかもね。

できるだけ彼らと縁のない人生を送りたい。

先日もひどく失礼なメールを送って来た。今までならそれに触れずに返信しなかったりすごく遅く返信したり必要最低限のことだけ返信してそれに触れなかったりしたのだけれど、前にカウンセラーさんに「いつまでもそうやってたらいつまでもそのまんまだよ」と言われ、試しに反論してみた。

「なぜそういう失礼なことを言うのか。」
「私があなたの子どもだからといって失礼なことを言うのはやめてください。」
と。

すると「なんでそうなるの?そういうことを言ってるんじゃないんだけど?そう言われてひどく悲しい」とかいう返信。

お前が悲しいのなんか知るか、お前が悲しくなる前に俺がお前に失礼なこと言われてんだよ、失礼なこと言われて傷ついたり腹が立ったりしないとでも思うのか?え?そもそも私がお前の支配下にある立場の弱い子どもじゃなかったら言えないような失礼なことを言ってくるのは大昔からずっとだろうが。

と言うような内容の(実際はもっと丁寧に落ち着いた論破方向の口調で)メールを返信しようとしたけどやめた。なぜなら「悲しいです」とか言ったあとに彼らなりの改善を試みていたから。悲しいですだけだったら確実に言い返してた。

ただ今までどおり酷いことを言って抵抗されて都合が悪くなったら感情論()で上に立とうとするの、本当になんというか毒親〜って感じ。自分が何やろうが相手が自分の感情を傷つけてきたら自分が被害者だってさ(笑)自分のことは棚に上げて(笑)しかも事実を言われて受け止められず直視できず勝手に傷ついてるだけ(笑)でマウンティング(笑)精神年齢何歳だよ

なんというか、私は中学生ぐらいの頃に鬱ピークだったと思うんだけど、なんだかんだで鬱期にぐるぐる考えたことが今役に立っている気もするんだよね。自分の中の矛盾を見つめるだとかさ。「なぜ自分はこんな感情を感じているのか」→「なぜなら心の底にはこんな気持ちがあるから」って分析とか死ぬほどしたよ。今も時々するよ。

考えてみれば昔よりもその思考をするのに妨げがなくなった気がする。やっぱり昔は「そう思いたくない」とか「そうであるべきでない」という考えが自分の深層を見るのを邪魔するんだよね。見栄とかがあるから。今はそれも含めて「ってことは私はそれに抵抗するけどそうなんだろうな」とか「ということは私はそうであることをネガティブに思っているんだな」とか「なぜそんなに嫌がるんだろう、何かそうなる経験があったっけ?」とか考えたりできる。

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posted by ヤナ at 04:11| Comment(0) | 毒親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

負の感情が正の感情より強い



私は多分感情全体が負の軸寄りなんだと思う。


正の感情と負の感情の軸があって、ある人が持てる感情の幅を10とすると正側に5、負側に5の幅があるとバランスのいい配分だけれど、私の場合はそれがだいぶ負に偏っているはず。

すっごい悲しいとかすっごい嫌いとかすっごい憎いとかすっごい殺意とかすっごく死にたいとかはたくさん経験してきたけど、すっごい嬉しいとかすっごい楽しいとかすっごい好きとかすっごい愛しいとかすっごく幸せとか感じたことない。
多分「できて当たり前」と毒親に植え付けられたからだろうな。

できる
(もちろん、ただ文字通りできるだけでなくて他人より秀でてできるということ)
=
当然
=
普通
基準値
0

だとして扱われてきたから、多分正のことへの基準が高いんだ。

不幸せだなあ。

不幸せになるように育てられてしまった。

どうやったら幸せになれるような感じ方をできるようになるのか分からない

基準を下げるのって難しい。
正の感情を持っていないのに持っているように振る舞うのじゃ解決しないんだよ。だって今まで周りに合わせて浮かないようにそうやって生きてきたから。これまでそうやって手治らなかったんだからその方法じゃダメだ。

方法を教えてもらえればなんとかなりそうなのに、分かんないなあ

自分の思ってないことを思ってるようなふりをして振る舞うのはひどく疲れる。精神的にも。こういうの続けてたらまた鬱になるだろうな…
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posted by ヤナ at 06:13| Comment(0) | 毒親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする