2017年12月06日

同じ土俵にいると思われてディスられるのが辛い



前記事「同世代との圧倒的な人格・経験・能力・知識差に対する私のスタンス」で、「自分が同世代と同じ土俵にいないことを自覚し、周りを気にせず自分でコツコツと基本的なレベル上げをする」という話をした。

しかし、何も言わなければ周りから同じ土俵の劣った人間と見なされる。それは、説明しない限り、しょうがないことである。

しょうがないから、そう見なされることは、まあ、諦めている。現状だけ見れば一点の曇りもない事実であるし、私だけが私に必要なことを分かっていればいいのである。私が周りに惑わされなければいいのである。

でも、時々、私が彼らよりレベルが低いことに浸け込んでか、延々とマウンティングをしてきたり人格否定をしてきたりお前は劣っていると言い続けてくる人間も、いる。本当にいる。普通にいる。何なんだろうな、あいつら。

正直そういう人間は私をそう酷く蔑んで扱うことで、本人の優越感なりプライドなり自尊心なりを満たそうとしているのであって、私をサンドバッグにしているのだと思っている。

が、そう思っていても腹が立つことに変わりない。むしろ私がそのための道具として扱われ、人間としての扱いを受けていない理不尽さに憤りを感じることは避けられない。

基本的にそういう人間からは離れることにしているが、職場だったりゼミだったりと、特定の選べない環境にそういう人間がいると、非常にストレスである。

それがあまりにも続くと、そりゃあ反撃もしたくなる。

しかし、その術が私にはない。
いや、なかった、とでも言うべきか。

なぜなら、私に圧倒的な人格・経験・能力・知識差を与えた出来事が、他人にそうそう簡単に吐露できるような内容ではないからである(前記事参照)。

そもそも、私を自尊心維持のためのオナニーに使う人間というのは、私のセンシティブな人生経験を伝えるに値しない人間である。仲のいい信頼している大好きな友人にすらなかなか言えないのに、そんなやつに言えるわけがない。

しかし、私にはそれなりの理由があって彼らと同じ土俵に立っていないこと、立っていると思っていないことを分からせないと、奴らは永遠に私に嫌味を言い、私にストレスを与え、HPを削り続ける。

それに耐えられなくなった状況が、ちょうどこの前あった。

そう、以前かなり愚痴を書いた、「住み込みバイト」のときである。

親しくもない同級生に、その子のストレス発散のためか散々嫌味やマウンティングをされ、酷い言い方をされ、挙句親しくもないのに私の人格がいかに社会的に歓迎されないものか、いかに私がその子より劣っているかを異論は認めない形で説かれた。

その子は私を「同じ土俵の劣った奴」であり、だからこそ「ストレス発散に使い捨てて良い」と思っていたのだろう。

勿論、私は腹が立った。1週間毎日そんなことをされ続けるのである。親しくもないのに。

耐えられなくなった。

私は、そのような人間に対抗する術は自分にはないと思っていた。

しかし、私は見つけてしまったのだ。そいつをそれなりに黙らせる方法を。

私は、自分が鬱病のようなものであったことを、カミングアウトした。

奴は鬱病は専門外のようなので、鬱病は完治しないこと、治るのに時間がかかること、今思えば身体的にも精神的にも不健康な時期が長かったこと、病院に行く機会がないまま私はここまで来てしまったこと、そして今は最盛期よりもかなりマシであること、だからこのまま自分でなんとかしようとしていること等を、打ち明けてしまった。

私は、これを、"信頼しているから"打ち明けたわけでは決してない。むしろ、その子を憎んでいる。今でも嫌いだ。

私は、それを、"牽制"として、"威嚇"として告白したのだ。

俺はお前と同じ土俵にいねえんだよ。
お前は勝手に俺のことを知ったような口を聞くが俺にはお前と違った俺の背景があって今の俺になってんだよ。
お前が知ったような口で言っていることはその背景をとらえていない時点で空振りに近いんだよ。

勿論、その子からはいくつも私が何千回も考えたような改善策を提案された。

「病院に行ったら?」
今これだけ健常者の成り損ないぐらいに擬態できているのに行ったところで手遅れでは。そもそも診断がついたらついたで就活に支障が出る。

「じゃあ大学でカウンセリングしてもらったら?」
してもらってた。入学したての健康診断で呼び出しを喰らってそれから暫くカウンセリングされてた。でもあそこの人は広く浅くの人だから、鬱病やらなんやらだけに特化していない分対して役に立たない。

「じゃあ大学外でカウンセリングしてもらったら?」
お金がない。し、留学先ではカウンセリングに通っていたが、収穫がなかった。今たくさん本を読んで自分が鬱病のようになった原因も大体把握できたし、自分でセルフカウンセリングした方が良いと思う。実際にこれだけ回復しているし、もうカウンセリングに通う段階(レベル)の症状ではないと思う。

こうしてその子は、黙った。

少なくとも、その日は。

まあ単純に、鬱病患者(仮)をあまり刺激すると良くないと思って自制したという可能性は大いにあるが、いずれにせよあの攻撃が止んだことは私にとって、私の精神にとって、幸福なことだった。

しかし、私は、そのエピソードをそんな風に使ってよかったのか、未だにわからない。

これに味をしめて、私はこのままこの方法を使い続け、自分が周りと同じ土俵に立たなくて良いことを正当化するのではないか。

そうなることが、とても怖い。
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posted by ヤナ at 19:41| Comment(0) | 精神的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月05日

同世代との圧倒的な人格・経験・能力・知識差に対する私のスタンス



大学に入ってある程度同世代の人間と関わるようになって気づいたこと。

私は精神的にも能力的にも知識的にも経験値的にも同世代より遥かに下にいるということ。劣っているとは言いたくないけど、まあ一般的に言えば劣っているとニアイコール。

なんでこんなに差があるかの原因は、まあだいたい検討がついている。

まず、毒親。

うちの毒親は他人に借りを作ったり私関連の人付き合いをするのが嫌だったりで、様々な子供向けの行事は私を含めて参加拒否、私が他の家族と関わる可能性があることは禁止等など、私から様々な経験をする機会や様々な人・家族・社会・世界と触れる機会を奪った。

家族仲自体も良くない(なかった?)ので、家族で何かするということもなかった。私がまだ幼い頃は旅行なんかに半年に一回行ったり行かなかったりだったが、毎回旅行中に親が喧嘩するので行かなくなった。(そういえばこの間私が帰省したときに近所を家族皆で散歩をしたが、そのときにも途中で親が喧嘩をしだして結局別々に家に帰ったなあ。何なんだアイツら。)

ちなみに、両親とも親戚との仲も良くないので、私は外の世界と触れる機会が本当に少なかったと思う。

あとは高2の終わりまで最寄り駅から2駅以上離れたところに行くことを禁止されていたので、それも私がいろいろなことを経験する機会、そしてそのようなことに興味を持つ気力などを奪ったと言えよう。

次に、性自認。

何度かこのブログにも書いたが、私は元FtM自認だった。中2の終わりぐらいまで。

中2の終わりに「私は男になりたいのではなく女でいたくないのでは?」と気付き、そこから中性自認となった。まあ中性と言っても、どこかの本やインターネットで調べて見つけたXジェンダーの中性・無性・両性みたいなものの中の中性というわけではなく、自らが考えて生み出した概念としての中性だったので、実際はXジェンダーで言う無性に近かったと思う。

しかしまあ、幼い頃からずっと自分のことを「男になりたい人間」だと思っていたので、自分を中性(無性)だと自認しても感覚や発想はなかなか変わらず、第二次性徴も制服のスカートももう色々なことが嫌だった。大変だった。

で、これがなぜ同世代との精神・能力・知識・経験的な差に繋がるかというと、毒親の件とも合わさって次のこの点に繋がるからである。

「抑鬱」

正直、本当にずっと思っているのが、当時のあの状態はうつ病と呼んでいいのではないかということ。でも病院に行かなかったから診断もないし、実際のところは分からない。

しかしたとえアレが病院に行っても「うつ病」と診断が下りないものだったとしても、確実に「健康な状態じゃなかった」ということだけは言える。

アレが鬱病じゃなかったのなら、また違う名前の何か不健康な状態だっただけと言いきれる。なんだか記事が予想以上に長くなってしまっているので詳しい症状などは割愛するが(他の記事にでもしようかな)、とにかく、精神が健康じゃなくなった。そのピークは中学生。

人が怖かったし、人と関わる気力もなかった。自分のことでいっぱいいっぱいで、死にたいことと死ねないことでいっぱいいっぱいだった。そんな人間が学校で他人とまともに関われるはずがないし、学校以外の用事で外に出れるわけもなく、かと言って家の中で何か有意義なことをする気力もなく、本当に文字通り、ただただ何時間も閉め切った自分の部屋の床に座って死にたいと考えたり泣いたりボーッとしたりしていた。

そんな風に生きていて能力やら経験やら精神やら知識やらが成長するわけがない。

中学は3年間まるまるそんなかんじで過ごし、高校はそれのちょっとマシみたいな過ごし方をした。部屋から出られる時間が増え、リビングでテレビを見ることができるようになった。でも家からは出なかった。友だちとも遊ばなかった(し、やっぱり友達がそんなにいなかった)。そもそも2駅以上離れたところには行けないし。

まあそういうわけで、私は少なくとも中高の6年間の成長の機会を完全に失った。

この6年、大きい。大きすぎる。世間の言う、青春真っ只中の6年。そして22歳の人間にとっての6年。

勿論、毒親の影響は私が一人暮らしを始める18歳の頃まで直に毎日受けていたので、22歳にとっての18年とも言える。けれども。

とにかく、そういうわけで、私は同世代の人間よりも精神的にも能力的にも知識的にも経験値的にも成長不足であると分析している。年相応でない、と。

大学に入った頃、私はその事実を同学年の子らによってまざまざと見せつけられて、酷く気に病んだ。

まあそうでなくとも全人生を毒親と過ごしていたのでその毒っ気が抜けておらず、大学1年の頃は病みっぱなしだったが。

勿論、今でもその格差を日毎にビシバシ感じる。実際に格差が存在しているのでしょうがない。

ここからがこの記事のタイトルの本題なのだが、それではこの圧倒的な差に対して私がどのようなスタンスで生きているか、ということである。

私は、自分のことを人間4年目だと思っている。
周りには言わない。頭おかしいとかネタだと思われるだろうし、ちゃんと説明したところで理由つけて甘えんなとか思われるだろうから。

でもとにかく、私は私が同世代の人と同じ土俵に立っていないと思っている。

勿論、周りからすれば同じ土俵にいると思われていると思うし、そういう扱いも受けるし、実際に同じ土俵で戦わなければならないのだが、私の中では違う土俵に立っていると言い聞かせている。そして、だからこそ、周りとは違うから焦らなくていいよ、違うのは当たり前だからね、これから育とうね、これから成長しようね、大丈夫、大丈夫、と言い聞かせている。

ただこの表現ではおそらくうまく伝わらず「それはお前が逃げてるだけじゃん、甘えんな」と思われると思うので、例え話をする。

私が今、中学生だとする。

私は中学校で数学の授業を受けている。もちろん、中学レベルの数学だ。周囲がそれなりに授業についていけている中、私には内容がさっぱり分からない。なぜなら私は小学校の掛け算の計算の時点で躓いているからである。というのも、小学校で掛け算を習うその時期に、家庭の事情で親戚をたらい回しにされ全国を転々とし、授業の引き継ぎが上手く行かなかったからである。

周りは、私が掛け算の時点で躓いていることを知らない。ましてその理由が簡単に他人に口外できないような深刻で子どもには不可避な家庭の事情であることなど想定外中の想定外である。

だから、私のことを"自分と同じように勉強しているはずなのに理解力が足りないクズ"と思い込んで「馬鹿だ」とか「こんな問題も分かんねえのかよwww」とか「地頭の問題」とか言ってマウンティングしてきたり、心の中で蔑んだりしている。

しかし私は、自分で「今中学校の数学がわからないのは掛け算が分からないからだ」と分かっているし、何が原因で掛け算が分からないかも分かっているし、その頃の自分にはその原因が回避できないものであったことも分かっている。

だから、私はそれらの罵倒やマウンティングを本質をついていないものであると見なし、本気にとらない。

それらの意地の悪い言葉に気を病み、「私は中学校の数学が分からない、どうしよう、皆はできるのになんで私にはできないの!?」と中学校の数学に必死に縋り付いて見様見真似で因数分解やら代入やら置換やらをやり続けるよりも、一人で掛け算の計算に戻ってそこから勉強し直す方が良いと考える。

周りから遅れていて当然である。中学校の数学の授業が分からなくて当然である。皆のようにできなくて当然である。

基礎が整っていなければ応用はできない。
基礎が整っていなければ次のステップには進めない。

昨日足し算引き算を勉強していた子に今日平方根の計算を教えても身につかない。

だから、私は皆と同じ年齢で皆と同じ中学校の数学の授業を受け同じテストを受けなければならないが、まず私がすべきことは小学校の算数の勉強である。

だから私は、彼らの思い込みの嫌味や悪口を(時々凹みながらも)受け流し、自分のやるべきことをやる。



これが私の、スタンスである。
これだけ長々と書いたけれど、結局分かりにくいかもしれない。

私はたしかに同世代の人たちと同じ土俵で同じような環境で競わなければならないが、私がやるべきことは、学ぶべきことは、獲得していくべきことは、その土俵とは違う場所にある。と思っている。

だからこそ、自分自身に同世代と同じレベルを求めないことにしている。私が習得すべきなのはそのレベルのことではなく、もっと初歩的なことだから。

小学校の算数が分からない人間は、中学校の数学で周りと競うべきではない。まず算数のわからない部分から一つずつ完成させていくべきだ。

人格・経験・能力・知識を獲得する機会を長く失っていた人間は、それらをそれなりに持っていた人間と比べるべきではない。獲得できていない人格・経験・能力・知識を獲得できていない部分から一つずつ積み重ねて彼らを追うべきだ。

と思って生きている。


長くなりました。ごめんね。
読んでくださってありがとうございます。
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posted by ヤナ at 22:37| Comment(2) | 精神的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

ディズニー映画の導入で泣きがち


子供向けディズニー映画の作りって、

平和

平和が壊れる

平和を取り戻そう!

挫折

立ち直る

平和が戻った!

じゃないですか、ざっくり言うと。

その一番最初の「平和」の場面で泣きそうになるし、周りに人がいなかったら普通に泣く。

なんかさあ、いやあ、まあ大体子供向け映画だから子供が主人公なのよね。で、もちろんその主人公は私よりずーっと若いわけ。私もう21歳だし。その若い主人公がさ、「平和」に、幸せそうに暮らしてるわけよ、その場面では。

私がその年だった頃って「平和」だった?幸せだった?

って考えちゃうんだよねえ。

毒親のこともあれば性自認のこともあるし抑うつのこともあるしで、私は若い頃が地獄だったから、フィクションの子供用綺麗事映画の中でも平和で幸せな幼少期を送っている子を見ると「よかったねえ、しあわせだねえ、私にはなかったなあ…」って思って泣けちゃうんだよね…。

こういう人って多いんだろうか…

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posted by ヤナ at 18:58| Comment(0) | 精神的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月31日

お別れが寂しくなかった



昔から、どうもお別れというものに疎くって。全然悲しくも寂しくもないんですよね。本心だとまた明日ねぐらいのノリで一生を違えたりできるんだけど、失礼だし周りにも嫌な目で見られるから適当に名残惜しいふりしておく感じ。

そもそも他人となかなか仲良くなれないタイプだからっていうのが強いんだろうなあ。別にいてもいなくてもいい人ばかりなんだ、私の中では。

もう一生会えないかもしれないということに実感が湧かないし、あえなくても別に支障がない。

私が地元を出る前に、小学校から高校までずっと同じ学校で仲良くしてた幼馴染と遊んだんだけど、最後別れるときに幼馴染が泣きそうになってて、あれって思ってしまって。だって私全然泣けない。なんならいつでも帰ってこれるじゃん?分かんなくってさ。

引っ越す人とか留学行く人とか卒業する人とか、もちろん自分が引っ越すときも留学行くときも卒業するときも、悲しいと思ったことがなかった。

そう、留学中以外は。

そうなのよ、この記事のタイトル見て。よく見て。過去形なんですよ。今はもう私も寂しく感じることがあるって知ってるんです。

留学中にね、ホストファミリーと馬が合わなくって精神的に死にそうになって、というかまあ死んでて、体の調子も悪くって、早く死にたいって思ってた時期があって。いや、正直留学期間の大半なんだけど。そのとき、恩師が彼の家に招いてくれて、残りの期間をそこにホームステイさせてくれたんですよね。それだけでもすごく助かったのに、彼の家族もまるで本物の家族のように色んなことをやらせてくれたり文化や風習の違いも怒らずに忌み嫌わずに教えてくれたりでとても良くしてくれたの。

でも、途中で恩師が1学期間研究でフランスに行くってことになって。私の留学期間も彼の留学期間も同じ時期に終わるから、もしかしたらもう一生会えないかもしれないってことになったわけ。もう彼の出発の一週間前ぐらいからそのこと考えては泣いてたよね。今もこの話思い出して何故か泣いてるけど(笑)手紙の下書き書きながら泣いて、清書しながら書きながら泣いて…(笑)家でももうすぐ彼が行ってしまう日が近づいてるんだって思うと悲しくて隠れて泣いたりしてさ。

で、お別れの日もハグしながらわんわん泣いてさー。彼はニコニコしてたけどね(笑)

私都会生まれ都会育ちだしAセクだし人間不信気味だ(った)し毒親からの効率至上主義教育で人間を人間として見れなかったし、他人から冷たいって言われること多くてさ、自分でも私は冷たい人間なんだなって思ってたの。それこそお別れが微塵も悲しくない人間だったから。替えはいくらでもいるってかんじで。

でもこのときに私は冷たい人間なんかじゃなかったんだって知ったの。自分でもこの時に知った。私は他人と別れるのが辛くて寂しくて悲しくて泣ける人間だったんだって。

自分にそういう人種の素質があると思ってなかったからさ。彼と彼の家族と一緒に育てたんだと思う。

彼に出会えて、一緒に時を過ごせて、本当に良かった。人生が変わったと思う。人生観や思考回路が変わったし、彼と出会ってやっと本当の留学生活のスタートラインに立ったと思う。彼と出会わなければ、私の留学にはなんの価値もなかっただろうなって本気で思う。

たしかに、遅かった。彼と出会ったあとも仲良くなったあともしばらくそれまでの負の遺産が消えなくて、回復に時間がかかって、ちゃんと留学っぽいことができるようになったのは最後の2、3ヶ月に満たないんじゃないかと思う。

でもその1年で一連の回復劇、復活劇を成し遂げたことは大きいし、何より彼らに出会えたこと、今でも仲良くしていること、彼らから教わったことは人生の宝だと心の底から思う。

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posted by ヤナ at 00:30| Comment(0) | 精神的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

なんだこの薄汚い感情は



いやあ、今日どうにも汚い気持ちになったんだけど、その原因がつかめないのでこの記事を書きながら探ってみようと思う

何があったかというと、単純に私と同じカテゴリーに周囲から分類されるであろう人たちが私の所属している範囲に来た。ってだけなんだけど。

なんかすごく、汚い、どす黒い気持ちになったのよね。

私はそこに所属し始めて1年ぐらいになるんだけど、彼らのほうが私の1年前より優れてるように見えたというか。単純に複数人で来たから仲間がいることによって精神的な負担が軽減されてるのかもしれないし、そうでなければもともと彼らはそういう楽観的な性格なのだろうし、そうでなければただ私が精神病気味だからそこがマイナスだったんだろうし。

なんだろう、そう、私が1年前に来たときより幸せそうに見えたというか。幸せそうだから優れてるように見えたのかも。

私より1年前に来た、所謂1年上の先輩の1年目の能力が1年経過した今の私より優れてて。
それで、この子たちも1年後には今の私よりその能力が上がってるんだろうな、だってこの時点で幸せそうだもんなってさ、思ったの。

つまり、私が誰よりも無能だな、価値がないなってさ。

私が来たばかりの頃は吐きそうなぐらい泣きそうなぐらい自分に能力がないことを辛く思ってたししんどく思ってたし悲しかったし悔しかったんだけど、彼らは笑いながら「できないや!わかんないや!」って言えちゃうんだからさ。

実際、今思うとその楽観できなさが私の能力の発展を妨げたと思うんだよね。だから余計、来た時点でそれらを持ってる彼らが羨ましくて妬ましくてさ。

結局私は人に好かれない人間だからさ。人が好きじゃないしだから人に好かれないし。人に好かれるような言動をするのが疲れるから。いや、違うか。人に好かれる言動なんてないもんな。自分を出せないのだ。何かが怖くて。嫌われるのが怖いのか。毒親の影響でそんなのあったよね、覚えてる。

でもつまるところ、人といるのが疲れるわけだよ。それなりに。まして初めましての人たちとなんて。

あとは単純にそこに来るまでずっと忙しくって休みもなしに移動になってストレスMAXのところに知らない人の中に入るストレスがどーんと来たからさ。鬱になっちゃうよね、そりゃあね。私だもん。人間好きじゃないんだもん。

一人の時間ほしいって思ってもシェアハウスだから無理だし。

そもそも私家の中に他人が存在している時点でストレスなんだよね。自分の部屋に自分以外誰もいないだけじゃストレスフリーじゃないわけ。監視されてる気がしちゃう。これ精神病の何かの項目であった気がする。

まあ結局、私の自己肯定感は大して回復していなかったということですね。自分より優れた人が来たと思うと、他人と比べて汚い心に染まっちゃう程度にしか自己肯定感が上がってないんだ。

しんどい。

優しくなりたいなあ。人間になりたい。

比較対象の登場のせいで承認欲求が満たされなくなって、見捨てられ不安が生まれて…

私より質のいい同じカテゴリーの人間が来たら私を捨てるんでしょ?もう私なんていらないんでしょ?私を悪く言うんでしょ?ってさ。

これ結局「人間は代替可能」「消費されたくない」とかの価値観に基づいてるんだよね。

「消費されたくない」っていうのは、商品としてではなくて人間として扱ってほしいって意味だし、自分が唯一無二の存在で尊いと自分では思えないから周りからそう扱ってもらえないと本当に自分が使い捨ての存在だと言われているようで死にたくなるし許せないんだろうな。

そのくせ、自他の境界の曖昧さから、同じカテゴリーの人間が来たらよりよい代替品が来たから自分は捨てられるとか思ってさ。

つまるところ他人への不信感があるんだと思う。見捨てられ不安だよねそれこそ。「商品としての価値」を生まれてからずっと問われ続けているから「自分は唯一無二で代替不可能なもの」であるという自己肯定感が持てなくて「商品のように消費されたくない」けど結局今までと同様に消費されるんだろうなという「人間不信」があると。

となるともうどうやって治していいのか分かんないよ。

たとえカウンセラーさんやらにあなたはあなたしかいなくて貴重なんだよなんて言われてもその他の関わる人間が消費するような素振りをしてきたらただスキーマが強化されるだけだし、かといってその他の人間との関わりを断つこともこの社会で生きる限り不可能だし。

治るのかなあ、治らないよなあ、ちょっとやそっとじゃ。

なんという負の遺産だ、こんなもの寄越しやがってうちの毒親は。

とりあえずこの汚い心を浄化したい。どうしたら良いかわからない。人間になりたい。うう。
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posted by ヤナ at 09:59| Comment(0) | 精神的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

自傷について長文を書いていたら全部消えた


自傷行為について半端ないぐらいの長文を書いていたら全部消えてしまった…

同じ内容をもう一度書く気力が今はもうない…つーか当分ない…

腹が立つので今はそういうことが起きたのだということだけ投稿する。つらい。めっちゃ頑張ったのに…うう…

お蔵入りにはしたくない内容だけど深層心理やら私の行動様式やら癖やら暗い過去の思い出だとか異常性だとか全部書いていてほぼ書き終わってたのに…30分以上ポチポチしてたのに…立ち直れねえ…


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posted by ヤナ at 14:12| Comment(0) | 精神的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする